相続した実家、急いで売っていませんか? ― 相続税と不動産市場をめぐる素朴な疑問
はじめに
「実家を相続したものの、納税資金が足りなくて、急いで売却先を探している」
相続の現場では、こうしたご相談を意外とよくいただきます。そしてふと、こんな疑問が浮かぶことがあります。
「急いで売らなければいけない私たちと、じっくり時間をかけて選べる買い手とでは、そもそも対等な取引と言えるのだろうか」
もちろん、相続税には「一部の家庭に富が集中し続けるのを防ぎ、世代を超えて機会の公平性を保つ」という、とても大切な役割があります。この点に異論は
ありませんし、格差是正や富の再分配という機能があるからこそ、社会の持続可能性が保たれている面もあると思います。
その上で、今回は少し視点を変えて、「制度の運用のされ方」について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。相続税の納税資金の確保と、不動産市場を
めぐる構造的な話です。できるだけ客観的な事実に基づいて、ゆっくり整理していきますね。
そもそも相続税は「現金一括払い」が基本
意外と知られていないのですが、相続税は原則として、相続開始から10ヶ月以内に、現金で一括して納めなければなりません。相続した財産が不動産や自社株
式ばかりで、すぐには現金化しづらいものであっても、このルールは変わりません。
延納(分割払い)や物納(財産そのものでの納付)という選択肢もあるにはあるのですが、平成18年度の税制改正以降、物納の要件はかなり厳しくなってい
て、「困ったときにいつでも使える制度」とは言いにくいのが実情です。
そのため、預貯金だけでは納税資金が足りない相続人が、自宅や実家を手放して現金を用意する、というケースは、実務の現場でも珍しくありません。
もっとも、少し補足しておくと、国税庁の統計を見る限り、近年は相続財産のうち現金・預貯金が占める割合が増えてきていて、「不動産を売らないと払えな
い」という状況は、以前と比べれば和らいでいるという見方もあります。とはいえ、都市部に不動産をお持ちのご家庭では、やはり今でも「売らなければ払え
ない」という壁に直面しやすいというのが、肌感覚に近いところです。
買い手側にも目を向けてみると
ここで、少し視点を変えて、不動産の「買い手」側にも目を向けてみましょう。
日本の相続税は、被相続人や相続人の国籍・居住地によって、課税される財産の範囲が細かく決められています。海外に住む外国人が相続する場合でも、日本
国内の不動産であれば日本の相続税がかかることが多いのですが、そもそも世界には「相続税」という税目自体が存在しない国・地域も少なくありません。シ
ンガポールや香港、中国、オーストラリアなどがその一例です(カナダのように、相続税そのものはなくても、亡くなった時点の含み益に課税する「みなし譲
渡課税」という別の仕組みを持つ国もあり、このあたりは国ごとに事情が様々なので一概には言えないのですが)。
こうした国・地域を拠点とする投資家や資産家にとって、日本の不動産市場は、相続税という重いコストを気にせずに資金を投じられる場所に見えるかもしれ
ません。
一方の日本人の相続人は、限られた期限の中で納税資金を用意しなければならず、市場価格よりも早く、そして時に安く手放さざるを得ない状況に置かれるこ
とがあります。こうして考えると、「時間に追われる売り手」と「時間に縛られない買い手」が同じ交渉のテーブルに着いたとき、力関係に差が生まれやすい
というのは、理屈としては十分にありうる話だと感じます。
ただ、正直なところ、これを裏付けるような全国規模の統計データは、今のところ見当たりません。ですから、「外国人が日本人から不当に買い叩いている」
と決めつけてしまうのは、少し早すぎるように思います。東京都心部のマンション価格が上がっている背景には、金融緩和や建築コストの上昇、海外投資家か
らの需要増加など、いくつもの要因が絡み合っています。相続税制度だけを取り出して「これが原因だ」と言い切るのは、なかなか難しいというのが正直なと
ころです。
実は、政府もこの問題に動き出しています
こうした流れを受けてか、政府も外国人による不動産取得のあり方について、検討を進め始めています。2026年に入ってからは、安全保障や住宅価格の高騰へ
の対応という観点から、外国人による土地・住宅取得のルールを話し合う有識者会議が新たに設けられ、2026年の通常国会に向けて、法規制の骨子案づくりが
進んでいるところです。不動産登記に所有者の国籍を記載する制度改正の検討や、国土交通省による取得実態の調査も、あわせて進められています。
ただ、少し注意しておきたいのは、これらの議論はあくまで「安全保障」や「住宅価格の抑制」という文脈で進められているものだということです。相続税制
度そのものの公平性を是正しようという目的で行われているわけではありません。むしろ相続税の納税義務者の範囲を定めるルール(いわゆる「5年から10年
ルール」)は、海外への資産・居住地移転による課税逃れを防ぐ方向で強化されてきた経緯があり、今回の不動産取得規制の議論とは、少しだけ焦点がずれて
いるようにも見えます。
制度の「趣旨」を大切にしながら
相続税が果たしている格差是正や富の再分配という役割は、これからも大切にしていくべきものだと思います。その前提を踏まえた上で、それでもなお考える
余地があるとすれば、それは「制度が目指しているもの」と「制度が実際にもたらしている結果」との間に、少しズレが生まれていないか、という視点なので
はないでしょうか。
たとえば、こんなことは考えられないでしょうか。
・自宅を含む居住用不動産について、納税資金を準備する期間や、分割納付の柔軟性をもう少し確保できないか
・生命保険や納税準備預金といった、事前にできる備えを、もっと早い段階で知ってもらえる機会を増やせないか
・相続をきっかけに市場に出てくる不動産の取引環境を、需給の実態を踏まえて整えられないか
こうした工夫は、相続税そのものの意義を否定するものではなく、「納税者が不利な条件での取引を強いられずに済む仕組み」を作っていくための、ひとつの
ヒントになるのではないかと思います。
おわりに
相続税の納税資金を用意するために、不動産を手放さざるを得なくなる。これは、決して他人事ではなく、多くのご家庭にとって現実的に起こりうる話です。
とくに都市部に不動産をお持ちのご家庭ほど、相続が発生してから慌てて動くのではなく、生前からゆっくり準備を始めておくことが、何よりの安心につなが
ります。
「うちの場合はどうなるんだろう?」「納税資金って、どう準備しておけばいいんだろう??」——そんな素朴な疑問こそ、早めに専門家に聞いていただくこ
とで、選べる選択肢がぐっと広がります。当事務所でも、相続税の申告はもちろん、納税資金の準備についてのご相談も承っておりますので、どうぞお気軽に
お声がけください。
参考資料
・国税庁「相続税の申告状況」関連統計
・国税庁 タックスアンサー No.4138(相続人が外国に居住しているとき)
・衆議院調査局国土交通調査室「外国人による不動産取得に関する整理」(2026年2月)
・日本経済新聞「外国人の土地取得、政府が近く有識者会議新設」(2026年3月)
・国土交通省「不動産登記情報を活用した新築マンションの取引実態の調査・分析」
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の税務判断については必ず専門家にご相談ください。
制度は改正される可能性があるため、最新の法令をご確認ください。
